岡山県視覚障害者協会主催文芸作品コンクールの結果報告
今年度も多くの方からたくさんの応募があり、関係者としてうれしく思うと同時に、ご協力くださった皆さんに心から感謝いたしております。
今回は川柳に16名から45句、俳句に12名から36句、短歌に8名から22首が寄せられました。その中から入選された作品をご紹介します。川柳の場合は作品が多いこともあり、今年度も佳作を3句選んでいただきました。来年度も今年と同じように行いますので、皆さんふるってご応募ください。お待ちしています。
《 文芸作品審査結果および講評 》
◇川柳の部
選者 従野健一先生
天)竹内昌彦さん
見えぬ子の 初月給に 母涙
(みえぬ この はつげっきゅうに はは なみだ)
評)目の不自由な我が子を育てることがいかに困難なことか、誹謗中傷にも耐えながら懸命に生きているのです。その子がやっと一人前になり、初月給をもらったときの嬉しさは母として本当の涙だったのです。母子の情愛に満ちた句です。
地)武藤孝夫さん
道を迷う 杖にやさしく 掛かる声
(みちを まよう つえに やさしく かかる こえ)
評)目の不自由な人が道に迷いながら杖を突いて歩いているのを見かねて、優しく声をかけてあげる姿はすがすがしい気持ちにさせてくれます。
人)鈴木鈴子さん
川風が 風鈴ゆらし 夏終わる
(かわかぜが ふうりん ゆらし なつ おわる)
評)今年の夏は暑かったので風鈴の音にどんなに心を慰められたことでしょう。でも、夏も終わりに近づくと少し淋しい気持ちになるのですが、風鈴は相変わらず風にいい音色を聞かせてくれているのです。
佳作1) 澤田隆志さん
暖かい ことばが沁みる 電話口
(あたたかい ことばが しみる でんわぐち)
評)お互いに電話で話しているときでも優しい言葉で話されると心も温かくなってきます。
佳作2)川田弘美さん
不揃いな 個性育む 母の笑み
(ふぞろいな こせい はぐくむ ははの えみ)
評)我が子でも色々な性格で母親としても育てるのが大変です。でも、優しく接してやれば子供もうまく育てられるのです。母親の愛は笑顔なのです。
佳作3)高谷将美さん
かげゼンの 妻とさびしく 夕ごはん
(かげぜんの つまと さびしく ゆうごはん)
評)妻と別れて寂しくなった様子がでています。これからはこのような情景が多くなってくることでしょう。
(注意)「陰膳」という言葉には、旅などに出ている大切な人の無事を祈って備える食膳という意味もあります。
川柳と俳句の違いをよく聞かれるのですが、季語のあるなしだけでなく、川柳は、情景から、どう思ったか、自分の気持ちを表現するのが大切です。自分の思いを詠むときに「風」「霧」「母」「海」などの言葉を使いながら作句するとよいと思います。皆様のご健吟をお祈りしています。
◇俳句の部
選者土師康生先生
天)武藤孝夫さん
片陰や手引きの妻の和む声
(かたかげや てびきの つまの なごむ こえ)
評)この句は「片陰」という季語に惹かれました。夏の午後、建物の陰になっている所を、奥様に手を引かれながら歩む作者の姿が目に浮かびます。よく「季語が動く」、あるいは「季語が動かない」という言い方をします。この句は、まさに「季語が動かない」、片陰という語によって成立している句と言えるでしょう。
地)川田弘美さん
支柱超え朝顔風とたわむれる
(しちゅう こえ あさがお かぜと たわむれる)
評)この句も「朝顔」という季語が効いています。支柱を超えるほど成長して、風になびく朝顔の花という情景が十七音の中で過不足なく表現されています。無駄な言葉がなく、それぞれが具体性を持っている、端正な形を持った句と言えます。
人)中村恒子さん
出かけましょ耳で楽しむ紅葉狩り
(でかけましょ みみで たのしむ もみじがり)
評)この句は、俳句の一面の魅力である軽み、滑稽味を口語体でさわやかに表現されている面白い句です。中七、下五もよく効いており、紅葉の風情や秋の風の味わいなどを言葉で表現し合い、耳をはじめとした感覚で楽しもう、という感性がこの句にもう一味を加えています。
◇短歌の部
選者 土師康生先生
天)川田弘美さん
思い出の祖母の手の平だまし舟今宵は孫と折る千羽鶴
(おもいでの そぼの てのひら だましぶね こよいは まごと おるせんばづる)
評)上の句は作者が子供の頃の思い出であり、下の句が現在。時間の流れの中で作者は、孫から祖母(祖父かも)になっていく。しかし、孫に折り紙を教えるという行為は世代を超えて繋がっていく。難しい言葉を使うのではなく、平易な言葉を用い、また心情を表す言葉はないが、温かいものが感じられるよい歌と思います。
地)武藤孝夫さん
半月が爪に出て居て照らすらし我が指先の読める点字を
(はんげつが つめに でていて てらすらし わが ゆびさきの よめる てんじを)
評)爪の根元にある白い部分を「半月」と言いますが、この歌ではこの「半月」が、空の月のように、指先を照らし、点字を読めるようにしてくれる、と詠みました。
爪の部分を「半月」ということ自体が比喩ですが、それを一歩進めて半月の光とした点に、作者の発想の妙味があります。
人)竹内昌彦さん
親となり壁穴一つ修理する反抗期の頃蹴った壁穴
(おやと なり かべあな ひとつ しゅうり する はんこうきの ころ けった かべあな)
評)誰にでもある反抗期。その頃のことを思うと私自身気恥しい思いがします。誰もが思い当たる節があるでしょう。「壁穴」という語が二度出てきます。一度目は大人として修理すべき壁穴。
二度目でそれが反抗期の自分自身が蹴って作った壁穴とわかる。この二つの「壁穴」の間にある心の動きが短歌の味わいになります。
俳句は多くの応募があり、選から洩れた作にも秀句がいくつもありました。皆さんの俳句の力の向上を実感しました。
これは主に短歌についてですが、一つアドバイスを。自分の思いの丈を表現しようとして、つい意味の強い言葉、派手な言葉を用いてしまうことがあります。しばしば強い言葉に、歌そのものが負けてしまい、表現したい情趣が伝わりにくくなることがあります。私自身、気をつけていることです。俳句の場合は、一語にかかる比重が重く、意味のしっかりした強い語を使うことによって、全体が引き締まることも多いですね。同じ短詩でもここらが違いであり、面白いものだと思います。